フラワーマルシェ瑞花 | 日記 | 鴻巣 勝願寺 関東3大十夜

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フラワーマルシェ瑞花 の日記

鴻巣 勝願寺 関東3大十夜

2014.10.21

塔婆 お十夜は「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」とも呼ばれ、天台宗や浄土宗にみられる念仏会(ねんぶつえ)のことで、「無量寿経」に「この世において十日十夜の間、善行を行うことは、仏の国で千年善行をすることより尊い」と説かれることから、お寺に篭(こも)り、念仏を唱えることで功徳を積む行事です。

 もとは、旧暦の十月六日から十五日までの十日十夜にわたって行われましたが、いつのころからか一日又は三日に短縮され、全国で行われています。
 特に、鎌倉の光明寺、鴻巣の勝願寺、八王子の大善寺は関東三大十夜と呼ばれ、たくさんの人で賑わいます。 いつ頃から行われたの? 最初に行われたのは、永享(えいきょう)年間(1429~1440)と云われ、その縁起が天台宗の真如堂(京都:真正極楽寺)に伝えられています。

 室町時代、将軍・足利義教(あしかがよしのり)の頃、平貞経(たいらのさだつね)の弟、貞国(さだくに)は阿弥陀仏への信仰あつく、日々怠りなく念仏を唱えていました。
しかし、兄・貞経は執権(しっけん)という要職についていますが、己は要職に就くこともなく、世の中に無常を感じていました。

 貞国は真如堂に篭り三日三夜念仏修行を行い、その明け方に出家を決心し、まどろんでいると、菩薩が現れて出家を止め、吉兆を告げます。
 すると翌日、ある事件によって貞経が執権職を退き、その三日後貞国が家督を継ぎ、晴れて執権職に就きます。

 これに感じ入り、貞国はさらに七日七夜の念仏法要を行い、合わせて十日十夜の修行を修め、これが十夜法要の始まりとされています。

 その後、明応四年(1495)に、後土御門(ごつちみかど)天皇が真如堂の僧と、浄土宗は鎌倉の光明寺、観誉祐崇(かんよゆうそう)上人を勅命によって召しだし、十日法要を行わせました。
 これにより、光明寺は勅願寺となり、十日法要を行うことが許され、浄土宗で広く行われるようになりました。 鴻巣のお十夜  さて、関東三大十夜と呼ばれることは前述しましたが、光明寺を双盤十夜、大善寺を諷誦文(ふじゅもん)十夜と呼ばれます。
 そして勝願寺は塔婆(とうば)十夜と呼ばれ、死者の霊を回向(えこう)し、塔婆を建てます。
 
 祭りには参道から境内にかけて出店が立ち並びます。
 以前は隣接する鴻巣公園でサーカスや見世物小屋が出て盛況し、出店には名物の「タル柿」や「秋刀魚」が売られていたということです。
 今では「タル柿」「秋刀魚」は売られていないということですが、15日の午後に赴いたところ(時間が作れず、間に合いませんでした。スミマセン)柿の苗が売られていました。

 また、人形の町らしく、本堂脇にある人形塚の前で人形供養が行われます。古くなったお人形や羽子板を焚き、感謝の意を込めて送り出したことでしょう。 上へ▲ 出店風景 もうすでに殆どの出店は片付けてしまっています。さぞたくさんの人でごったがえしたことでしょう。 人形塚 これまでもたくさんの人形が供養されたことでしょう。人形に限らず、大切にしようと思う心が、一番の供養だと思います。 Menu 鴻巣市の歴史 鴻巣の所在地 文化財マップ 参考文献 文化財 寺院・神社所有 石碑・文書 発掘品 館跡 祭り 夏祭り おおとり祭り 的祭 お十夜

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